ある経営者からのご相談と「完璧なIT」の罠
以前、ある中小企業の社長から、切実なご相談を受けたことがあります。「とにかく良い製品を作りたいんだが、何かITやソフトウェアでうちの経営を強力に支援できることはないだろうか」。自社のものづくりやサービスに対する熱い情熱と、さらなる成長を目指す真摯なお悩みが、ひしひしと伝わってきました。
DX(デジタルトランスフォーメーション)や全社最適化という言葉が叫ばれる昨今、「最新のITを導入すれば経営課題が魔法のように解決し、素晴らしい新製品やイノベーションが次々と生まれるはずだ」という強い期待を口にされる経営者の方は、決して少なくありません。
しかし、そのとき私は「少し立ち止まりましょう」と慎重にお話ししました。なぜなら、私自身が過去に「完璧なシステムを構築して会社全体を一気に変革しよう」と意気込み、現場を大混乱に陥れて失敗した苦い経験があったからです。
教科書通りの全社最適化構想を掲げて現場に乗り込んだものの、待っていたのは「机上の空論を押し付けるな」「現場の仕事が増えるだけだ」というベテラン社員からの強い反発と抵抗でした。各部門の利害が衝突し、仕様変更の嵐に揉まれ、板挟みの孤独の中で冷や汗を流す日々。結果として現場は疲弊し、巨額の投資に対して残ったのは誰も使いこなせない置き物のようなシステムだけでした。
イノベーションはITから生まれないという真実
世間では「ITで新しいビジネスモデルを構築しよう」「AIで革新的なアイデアを生み出そう」といった威勢のいい一般論が溢れています。しかし、痛烈な現場の失敗を経て、私はこの風潮に強い違和感を覚えるようになりました。ITでイノベーションが生まれるというのは、私にはどうしてもコンサルタントが描いた幻想に思えるのです。
製品開発の着想、人の心を揺さぶるキャッチコピー、親しみやすい製品名など、いわゆる「感性」や「センス」が問われる非科学的な分野において、システムが答えを出してくれた場面に、私は一度も立ち会ったことがありません。
正解のない世界を切り拓くのは、どこまで行っても社内の「人間」が発揮するアイデアと情熱です。では、ITの真の役割とは何なのでしょうか。
それは、答えのない挑戦に立ち向かうための「余力」を作り出すことだと、私は失敗の経験から痛感しました。ITが得意とするのは、データに基づいて無駄を削ぎ落とし、数値を最適化する「科学的なアプローチ」に他なりません。感性という答えのない領域で人間が力を発揮するためには、まず科学的な手法で足元を強固に固めることが不可欠だったのです。
「売上・生産・原価」から着手する現実的アプローチ
では、具体的にどこから着手すべきなのでしょうか。綺麗事の全社最適化を捨てた私がたどり着いたのは、事業の利益に直結する最も重要な数値、すなわち「売上」と「原価」、発言を支える「生産業務」の3点に極限まで絞り込む泥臭いアプローチでした。
まずは現場と一緒にデータを紐解き、製品ごとの正確な利益率を算出することから始めました。すると、「売上は大きく会社の看板商品に見えていた製品が、実は作れば作るほど利益を圧迫していた」という不都合な真実が浮かび上がってきました。
数字という客観的なファクトを可視化することで、現場の意識も「根性論」から「改善」へと大きく変わりました。なぜ利益率が低いのかの原因分析を一緒に行い、ITを活用した工程の二重入力の削減や、原価管理の精度向上によって利益率を引き上げていきました。併せて、無駄な販管費の削ぎ落としや定型業務の自動化も進めました。大きなインパクトを持つ「売上・生産・原価」の数値から科学的に無駄を取り除くことこそが、現場を疲弊させずに全社利益を最大化する最も確実なロードマップだと確信しています。
創出した「時間と資金の余裕」を次の挑戦へ
科学的な業務改善を実行した結果、会社には二つの大きな資産が残ります。一つは「資金的な余裕(増大した利益)」、もう一つは「時間的な余裕(社員の労力と時間の空き)」です。これこそが、IT化によって得られる最大の成果です。
科学的なアプローチによって獲得した時間と資金の余力があって初めて、企業は次のステップへ進むことができます。創出された時間を活用して社員が新しい試作品を考案する、有能な人材を新たに採用する、あるいは利益を使って次の製品開発へ投資する。逆に、足元の収益構造や業務プロセスが乱れた状態で新しい挑戦を始めても、リソースが分散して共倒れしてしまいます。足元の科学的改善で得た「力」を背景にしてこそ、経営者の感性を遺憾なく発揮した「勝負」が可能になるのです。
経営者の感性と科学的アプローチの融合
結論として、経営改革において最初から完璧なシステムを目指す必要は一切ありません。ITが担う本質的な役割は、飽くまで「売上・生産・原価」という重要数値に着目し、科学的なアプローチによって業務の無駄を削ぎ落とし、収益性を向上させることにあります。
私たちコンサルタントやITシステムが提供できるのは、この「科学的に解決できる土台作り」までです。そして、その改善活動によって生み出された金銭的・時間的な余裕を使い、どの分野に投資し、どのような未来を描くかという意思決定は、経営者自身の感性と情熱に委ねられています。
科学的な数字の改善で足元を強固に固め、創出した余力をもって次なる答えのない世界へ挑戦していく――これこそが、私が泥臭い現場の壁を越えてたどり着いた、中小企業の成長を支える唯一の実戦ロードマップです。